卑弥呼という名前はあだ名のようなものです。中国の魏志倭人伝の中でそう書かれていたため卑弥呼(卑彌呼)とされているそうですね。本名は明らかになっていません。
卑弥呼というあだ名がつけられた語源は「日巫女(ひみこ)」「日御子(ひみこ)」「日女子(ひめこ)」など様々あるそうですが、巫女であったことは明らかです。卑弥呼がよく「不思議な力を持っていた」とされるのは、神社の「巫女(みこ)」に由来しているからです。
卑弥呼の「卑」の字ですが、卑しい、軽んずるといった意味のほかに「低い」という意味があります。
そのため、中国の魏に「仕えた巫女」という意味から来ているという説が正しいような気がします。
この人、謎だらけなんですよね。
魏から親魏倭王の称号を得たことと、小国どうしが争いばかりしていたけれど卑弥呼が登場したことで落ち着いて邪馬台国としてまとまった、ということくらいしかわかっていません。そもそも本当にいたのかどうかもよくわかりません。ただ、亡くなったときに中国側からの使いたちが墓の創造に携わったっていうのが中国の歴史書に残っているんだそうでして、存在だけはしていたんだろうということになっています。肝心の墓がどこなのかは謎ですけれども。
なお邪馬台国は「やまたいこく」と読みますが、これはのちの大和つまり「やまと」の語源になったとも言われています。ですから邪馬台国もあったんでしょうねたぶん。なお邪馬台国もどこにあったのかよくわかっておらず、福岡説と佐賀説と奈良説があります。
距離的には福岡なんじゃないですかね、わかんないですけど。でもこの時代に福岡で中国とやりとりをしていたからこそ次の時代もその次もずっと中国との窓口は福岡になったわけで、もっとも自然な気がします。日宋貿易の頃は博多の港が一番使われていましたよ。
もしタイムマシンがあったとしたら、私が一番会ってみたいのは卑弥呼ですね。
どんな格好をしていたのかとか、どんな女性だったのかとか、気になるじゃないですか。
たぶん言葉は通じないと思います。現代の言葉が通じるのってギリギリ室町時代くらいまでじゃないでしょうか。縄文時代や弥生時代はまだどこの国の影響も受けていない独自の言語が日本で成り立っていたと考えるのが自然です。
でももし言葉が通じるとしたら、卑弥呼と一回喋ってみたいですね。当時の人って何を考えて生活していたのでしょうか。
こういうのをぐるぐる考えていると、歴史って本当に面白いですよね。