現役塾講師の教育さまざまブログ

現役塾講師が日々思っていることを様々綴ります。

エジプトのピラミッド発掘調査が進まないのは何が原因か

エジプトのピラミッド。昔から謎が謎を呼び様々な憶測が飛び交う歴史的遺構です。

エジプトは現在発展途上国になってしまっていますが、かつては世界四大文明の1つでした。エジプト文明はナイル川流域で栄えた文明で、ヒエログリフや太陽暦、潅漑農業など、数々の文化を生み出してきていました。今は発展途上なのに5000年前はぶっちぎりで発展していたというのが面白い。実に栄枯盛衰。

 

ピラミッドの調査を進めることは人類の歴史を大きく紐解くことになるはずですが、近年では音波による調査や赤外線レーダー調査など、手軽にできる調査しか行われていません。その調査の結果今まで見つかっていなかった大きな廊下が発見されたり、石の扉が見つかったりなど細々とした進展はありますが、本格的な調査はエジプト政府が認めていません。

 

これについて歴史が好きな人は「エジプト政府は本当は遺跡のすべてを知っているのでは」「エジプトにとって不都合な歴史が隠されているからなのでは」「人類の歴史をひっくり返すような大きなとんでもないモノが眠っているからでは」と想像をかき立てていますが、実際はたぶん違います。

 

政治とカネの問題です。

エジプトの年間国家予算はその年のレートによって変動がかなり激しいですが、約900億~3兆米ドルとされています。そしてピラミッドへの観光で訪れる客が落としていく年間総益は150億米ドル前後。これは移動や宿泊などの周辺も含まれた額であり正確な額が算出されているわけではありませんが、なんと6分の1から15分の1ほどがピラミッド関連なのです。しかも観光収入は右肩上がり。安定した国の収益となってしまっています。

もし大規模な発掘調査が行われるとなると、2年とか3年とか、あるいはそれ以上立入禁止が続くこととなり、その期間の観光収入が失われることになります。調査中は観客を入れるわけにはいきませんからね。安定した国の収入の部分を失うことになりますから、安易に発掘調査が進められないというのが大きいのです。

ほかに発掘に巨額の費用がかかることや、技術的な難易度を挙げている場合もありますが、現在のテクノロジーでできないわけがありません。きちんとスポンサーを募って計画を練ってやればできない調査ではありません。もしかすると中にとんでもないモノが眠っている可能性も否定はできませんが、それ以上に目の前の生活が大切だから発掘調査をしていないということです。エジプト政府もピラミッドの中身のことなんて全然知らないと思います。

 

つまり大規模なピラミッド発掘が行われるようになるためには、もうちょっとエジプトが多方面からの資金調達ができるようになり、国家として潤ってからということになりますね。

それがいつのことになるのやら。目先の利益に政府一丸となって飛びついているようでは、もっともっと先になる気がします。

ヘタウマ文字のパイオニア、藤原定家

藤原定家(ふじわらのていか・さだいえ)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての詩人・歌人です。公家であり、京極中納言などと呼ばれていました。生まれは1162年とされ、その頃にはもう仮名文字ができあがっていましたので、その仮名文字を駆使しつつ様々な書を作成し現在にも残っています。

 

その藤原定家の書ですが、かなり文字が個性的です。1文字ずつ見ると決してヘタというわけではないのですが、バランスが独特で全体として殴り書きのような印象を受けます。

特に左ハライ、左の打ち付けがほぼ小筆の穂全体を使って書いていたくらい太くなっており、おそらく手首のスナップを使って書いていたのでしょう。筆は、書道をやっていた方ならわかると思いますが、手首はせいぜい目立つハライを行うときくらいにしか使いません。なるべく筆を立てて、腕全体、体全体を使って書いていくことで安定した文字となります。藤原定家はそのセオリーをぶち破って、独自の書体を完成させたと言って良いもかもしれません。

 

なお詩歌に関しても幻影的、夢幻的とでも言いましょうか、ほかとは一線を画す情緒があります。

今でいうアーティスト気質の公家だったんでしょうね。

流行語からみる日本語衰退の歴史

流行語。その時代時代に様々な人々が興味・関心を寄せた言葉です。世相を反映し、その時代がどのようなものだったのかを考える上で重要な手がかりになりますし、当時の日本人の情操を知ることができます。

現在の新語・流行語大賞は1984年からですが、歴史的にはもっと古くからその概念は存在します。

和歌集というものがありますが、当時流行した和歌を集めたものです。流行語というか、流行歌というべきかもしれませんが、そう考えると奈良時代や平安時代、つまり日本語が形作られたときからすでに日本人は流行を言葉として捉えていたということになります。昔から日本人ってそういうところがあるんです。

 

名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと

古今和歌集に収録されている在原業平の和歌です。都からはるばる旅してきて名も知らぬ土地を移動しており、川を渡っていたときに見知らぬ鳥が姿を現します。船頭に聞いたところ「ミヤコドリ」という名の鳥であることを伝えられると、故郷の都の人々を思い出して皆泣いてしまった、というストーリーの中で出てくる和歌です。

背景を知っているとさらに意味がよくわかる和歌ですが、この和歌単体で見たとしても故郷を想う心が伝わってきます。まさに名歌と呼ぶべき作品です。

 

春の夜の闇はあやなし梅の花 色こそ見えね香やはかくるる

こちらは新古今和歌集に収録されている式子内親王の和歌です。春の夜、姿は見えないがその香りから梅の花が咲き誇っていることを示す粋な表現です。「こそ~ね」「か」という係り結びが2箇所も使われており、さすがは鎌倉時代、高度なテクニックが満載の和歌となっています。

 

さて時代は飛んで大正時代。

平民宰相

1918年、政府の度重なる失策のためにようやく選挙で選ばれた内閣総理大臣が就任した年です。原敬ですね。

こちらは当時の新聞などで書かれ、大正デモクラシーを代表する流行語となっています。さらに様々な派生語も誕生し、「平民酒場」「平民食堂」など、「平民〇〇」という呼び名が大流行しました。

 

そして昭和時代。

バカヤロー解散

ハイ、まさかの暴言です。1953年の衆議院解散のときの吉田茂元首相の言葉です。質疑応答中に敵対する西村栄一に対して放った言葉で、マイクが拾ってしまっていました。当時としては国会質疑での暴言はとんでもないことで、非礼であるとして大炎上する事態になりました。懲罰委員会まで動く事態となりましたが解散してしまったので懲罰は未遂。歴史に残る一句となっています。

 

続いて平成。

だっちゅーの

もはや語尾です。主語も述語もありません。1998年、お笑いコンビ・パイレーツが時折放っていた伝説のギャグです。

品詞に分解すると断定の助動詞「だ」に、「と」「いう」の助詞と補助動詞の2語を混成した「ちゅー」、そして終助詞の「の」です。最後の「の」は終助詞の場合主に疑問を意味しますが、この場合は説明、理由、確認など様々な意味が想定されます。あるいは「だっちゅーの」1語で感動詞としても良いような気もします。その場合は「感動」「呼びかけ」「応答」「かけ声」「挨拶」などの意味の可能性が挙がりますが、所詮はギャグなのであんまり意味はないように思います。

 

そして令和。

村神様

現在はメジャーリーガーとして活躍する元東京ヤクルトスワローズの村上宗隆選手のあだ名です。2022年に流行語となっており、こちらは今でも現役でインターネット上で散見されています。ただの名詞です。そして一部のファンしか使っていません。というかほぼネット・スラングです。

 

以上、とりあえず目についたギャグ流行語・流行歌をいくつか挙げてみたわけではありますが、

・・・なんか、ねぇ。

日本語の衰退というか、日本人としての心の衰退、情操の亡失を感じませんかね。ここらへんで雅を感じる、何か日本人としての心を見られる流行語は出てこないもんなんですかね。

芸能人とか有名人の皆さん、なんとかしましょうよこの状況。日本語を正しく使って、日本人らしさを感じる流行語を生み出してほしいんだっちゅーの。

理不尽なクレーム その5

第5弾です。5つめです。そんなに書いてるんですねこのシリーズ。今後も不定期でずっと続くと思います。

第4弾はこちら。

jyukukoushiburogu.hateblo.jp今回の主役は受験を控えた小学6年生の男児とその親です。

 

夏前の6月下旬だったと思います、「受験をするので入塾します」と突如塾にやって来ました。もうこの時点で、このブログを長く読んでいらっしゃる方なら察すると思います。受験をするのに6月じゃもう遅いんですね。受験をするならば理想は小4から。どんなに遅くても小5の秋までには塾に通い始めないと十分な復習と受験対策なんてできません。

もうほぼアウトの時期にやって来たものですから、とにかくまずはそれまで学んできたことの復習です。これから新しく学ぶことは学校できちんと学んで、受験対策をするだけのベースを整えなければなりません。

 

・・・というのをきちんと面談で親子共々にお話しして、どういった方法、どういった手順で受験対策をやっていくかというのを共有したんです。

授業はすべて個別形式授業。集団型グループ授業なんてやったところでもうカリキュラムが全く合いませんからねそういう時期では。

 

いざ! 授業を開始。

すると次から次へと予期しない要求が。

「学校の勉強でこれがわからなかったからこれを教えてほしい」

「今日は学校の宿題でこれが出たけれど自分では解けないだろうから授業でやってほしい」

「自分で復習してみたらこれができなかったからこれをやってほしい」

 

ある意味親子ともにやる気はあるのでしょうが、要求が毎回毎回で、カリキュラムがもうめちゃくちゃです。時には生徒本人から、時には両親からという感じで、毎回何かしら要求があるため受験対策に向けた準備が全くできやしない。というかそんなにできないことがあるならばもっと早く塾に何で来なかったんですか。学校の宿題を補助しないといけないレベルでどうして受験ができると思っているのでしょう。

計画がめちゃくちゃ。興味関心だけで何もかもやることを決めてしまうような状況。優先順位が何から何まで違う。

 

そして夏がやってきて、秋。入試の過去問を実施して対策していくべき時期ですが、やらせてみたら解けやしない。そりゃそうです、自分で解決したら良いようなことを次から次へと要求して授業を潰して、本来やらなければならなかった学習がほぼできなかったんですから。

これを受け、両親はカンカン。

いやどんなに怒られても、カリキュラムをきちんとこなさなかったツケが回ってきているだけです。あと塾に適切な時期に入らなかったツケ。

とりあえず面談を行い、急遽入試までの学習計画を改めて立て直して共有し、その通りに実施をしようとしたのですが、やっぱり駄目ですね。

計画なんてあってないようなもの。目先のことしか考えられない方のため、やらなければならないことが次から次へと目移りしていまい、結局何もこなせない。

案の定、目的の学校には落ちました。滑り止めの学校には受かったためそちらに進学。

そしてこういう方は塾もすぐ辞めるのが定石ですが、やっぱり滑り止めの学校に受かった翌日に退塾手続きをしていきました。

 

無計画、興味だけで動く、これ前にも書いた気がしますが、本当に受験に向いていないです。

日本の国旗と似たバングラデシュ国旗とパラオ国旗

日本の国旗は日の丸こと日章旗です。白に赤丸がどーん。非常にシンプルながら力強く、かつ洗練された国旗です。

この日章旗と非常によく似た国旗があります。それはバングラデシュとパラオの国旗です。

バングラデシュは緑地に赤丸がどーん。パラオは水色に黄色い丸がどーん。どちらも中心から丸が左にズレています。

 

これら、どちらも日章旗に似せて作ったのではないかという説があります。

バングラデシュは長らくイギリスの支配が行われていました。1971年に独立戦争が行われており、その頃に国旗も作られました。詳しくは説明されていないのですが、いちおうバングラデシュの行政が国旗の意味を「赤が昇る太陽と、緑が豊かな大地を表す」と言ったとされており、一説にはアジア唯一の先進国である日本を参考にしたという説があります。

バングラデシュは現在、日本のODAによって発展している側面があります。特に鉄道を通す橋の建設は日本企業が任され、バングラデシュのインフラを支える重要な橋となりました。「ジャムナ多目的橋」というのが名称なのですが、愛称として日本とバングラデシュの「友好の橋」と言われています。

 

またパラオは第二次世界大戦において日本が統治、いや実際は統治というかパラオ発展のためにかなり日本が資金を割きヨーロッパの国々から守った歴史があるのですが、その恩から日本の国旗に似せたのではないかと言われています。パラオ政府はこれを正式に否定しており「平和と静寂、海と陸の豊饒を表している」と説明しているのですが、パラオの現地民時代を知る高齢の人々は皆日章旗を似せて作った国旗だと信じているといいます。

パラオでは親日感情が高く、現在でも日本語がいくつか現地に根付いており、高齢者は日本語ペラペラの人も多いといいます。パラオ国旗も黄色の丸が左に寄っていますが、これは真ん中を日本に譲る意味があるとされ、日章旗と対になる夜に浮かぶ月がモデルだという考えが根強いです。

 

国旗が似ているのもそうですが、それ以上に国どうしの友好関係の歴史が素晴らしい2ヶ国です。バングラデシュもパラオも、上に書いた以外の関係もたくさんあるので調べてみると面白いと思います。

塾の自習室、どう活用する

小さな塾だと自習室がない場合もありますが、大手の塾だとだいたいが自習室を用意しているのではないかと思います。大きな塾でもない場合もありますけどね。

あれけっこう維持が大変なんです。机は専用の仕切りのあるやつを用意しなければならないので初期投資もけっこうかかりますし、そもそも専用の部屋を用意する必要もあるわけで。あんまり部屋数のない塾だと、わざわざ自習室に部屋を1つ割くのはもったいない、となります。だったら授業をやる部屋にしてしまいたいということになるため、自習室を用意するのはリスクです。掃除とかもめんどくさいですしね。仕切りがある分、落書きされたりとかもよくあるんです。先生の目が届かないですから。

 

で、自習室がある塾に通っている場合、どんどん活用したら良いと思います。

施設管理費とかいう名目で自習室の費用も月謝に上乗せされているはずですのでそもそも使わないともったいないです。

使い方ですが、何でも良いと思います。自習室の開放時間が決まっている場合はその時間帯しか使えませんが、そういう縛りがないんだったら塾が開いている日はいつでも使えるはずですから、学校からの帰りにちょっと寄って宿題やるとかでも良いと思いますし、授業の合間に少し使うとかでも良いと思います。家だとあんまり集中できないという場合はずっと居座っても良いと思います。

うちの塾でもたまにいますよ、まるで自習室の主みたいになっている生徒。

 

要は、少しでも学習時間を増やすために使う、というのが良いと思うんです。言い方を変えると、少しの時間も無駄にしないという言い方もできるかと。

せっかく用意されている部屋なんですから、どんどん活用すると良いです。

利根川についてどれくらい知ってる?

関東地方最大の河川、利根川。またの名を坂東太郎と呼び、日本三大暴れ川の1つです。流域面積日本一、と習ったと思います。

その利根川ですが、現在は群馬県から千葉県の銚子に注いでいますが、江戸時代以前は全く違っていました。

江戸時代以前は、東京湾に注いでいたのです。

 

江戸時代初期、「利根川東遷事業」が江戸幕府によって行われました。水害の防止や新田開発、物流のための水運開発の目的がありました。

これ、江戸時代ですから当然人の手によって行われたわけです。国土交通省が公式HPでかなり詳しく説明しているんですけれども、昔は荒川と利根川が埼玉県の越谷あたりで合流して東京湾に注いでいました。すると急に流量が増えることになるので、水害が起こりやすくなっていたわけです。

西の荒川、東の利根川、これを江戸幕府はしっかり分けてしまった方が良いと判断したわけです。約60年間かけて手作業の工事を行い、利根川は銚子にまで延長されました。これが功を奏し、大湿地帯だった江戸はしっかり干拓もされ、水源も確保でき、農業が著しく発展していったわけです。

 

なお旧利根川だった部分は今では中川の支流として農業用水路・排水路として活用されています。

江戸時代の人々が頑張って東遷事業をやっていなかったら関東地方の農業はこれほど発展していなかった可能性もありますし、水害の多い地域だからと明治時代以降は首都が別の場所になっていた可能性すらあります。

江戸時代の人々に感謝ですね。

万葉仮名とは?

平安時代になると仮名文字が生まれますがその前、奈良時代のことです。まだ漢字ばかりが文字として使われていた時代ですが、それだとあまりに不便だということで意味をガン無視してただただ読みだけで50音の漢字を並べて表したもの、それが万葉仮名です。別名は真仮名(まがな)ともいいます。

音仮名と訓仮名ができあがり、それが後の時代のひらがな・カタカナに繋がっていきます。なお仮名文字はこの万葉仮名を草書体にして、それをさらに簡単にしたらひらがな、一部を切り取って記号化したらカタカナですね。

 

ところでこの万葉仮名ですが注目すべき点があります。

古代の日本では「はひふへほ」の発音がなかったとされています。もともと「ぱぴぷぺぽ」と発音されていたのが中世頃になると「ふぁふぃふふぇふぉ」の発音に変わっていき、室町時代頃くらいになって「はひふへほ」になっていったといいます。「はひふへほ」の発音は海外の影響を受けてのものらしいですね。

たしかこれは・・・誰でしたっけ、ちょっと名前が出てこないのですが東大の昔の言語学者がP音考とかP論とかって発音の発生から発声を辿っていったという論なのですが、現在ではかなりその説が支持されています。

もしその説が正しいとすれば、万葉仮名で「八(波)比不部保」って書かれている部分は現在の発音だと「はひふへほ」ですが、そう書いて奈良時代の人は「ぱぴぷぺぽ」って読んでいたはずです。

でも50音を万葉仮名で示していたわけですから、奈良時代当時の人々も「ぱぴぷぺぽ」が「あいうえお」の各段に起因する派生の発音だということは認識していたということになります。

 

これ、すごくないですか?

現代人はアルファベットや発音記号を知っていますから視覚的に発音を分類できます。また現代人は西洋の発音も取り入れて子音と母音で正確に50音を表しています。が、そういうのがなかった時代に50音を正確に体系化したわけですよ。

感覚的に子音と母音の存在をわかっていたということになります。さらにはそれを外国の発音が日本に入ってくる前、古代の日本語の発音でこなしてしまっていたわけです。

万葉仮名は誰が作ったのか定かではありませんが、天才です。

 

現代の言語はこういったかつての言葉が土台になって進化してきたわけです。先人たちに感謝しなければなりませんね。

canってどう発音してる?

英語の助動詞「can」は、「~できる」という「可能」、「~かもしれない・~であり得る」という「可能性」、「~しても良い」という「許可」を表す単語です。

このcanですが、何と発音していますか?

 

実は、ネイティブは文中にある場合とそうでない場合で発音を変えています。

Can I help you?

Yes, I can.

のように文中ではないところにcanがある場合はおなじみの発音「キャン」です。

 

ですが文中にある場合、「ケン」という発音になります。

例えば

We can talk about it.

などという場合。canの後ろに「t」から始まる単語が続いています。これを続けて言うと自動的に「キャント~」と発音しているように聞こえてしまう可能性があるわけです。そう、「can't」との聞き取り間違い。その意思があるわけではないのに否定文として伝わってしまうことが考えられるわけです。

それと区別するために、ネイティブの人々は文中のcanを「ケン」と強調して発音することで回避しているわけです。べつにcanの後ろがtでない場合にも「ケン」と発音することが普通となっています。

 

こういうのって、実際に留学とかしないとわからないことですよね。

まぁ私は留学はしたことないですがけっこうYouTubeの動画とかで英語圏の動画も見るのでこういう発見があります。

留学ってこういうのを学ぶことだと思うんです。行ってみないとわからないことは多いと思います。行ってみましょう、ボンボヤージュ。

謎の政治家、井上馨

幕末から明治~大正時代にかけて活躍した政治家、井上馨。

明治時代の中盤に鹿鳴館というダンスホールを建設し外交で目立った成果をあげたことで知られていますが、行き過ぎた欧化政策が原因で政界から干されるというかわいそうな一面もあります。日朝修好条規を結んだ人としてもおなじみです。

 

その井上馨ですが、謎が複数存在しています。

まず、なぜ謎に政治力が強いのか?

長州藩出身で元は尊皇攘夷論者でしたが、イギリスに密航したのち開国論者になります。たぶんその間には四国艦隊砲撃事件という長州藩とイギリス艦隊とのミニ戦争が起きましたから、それが開国に向かった理由というのはわかります。

でも、密航したくらいで重役を任されいつの間にか長州藩の中枢的な人物になっていくわけです。一体裏で何があったのか。だって密航者なのに。

 

そして、イギリスの影響を受けている割には「英国公使館焼き討ち事件」というテロ事件を起こしています。1863年、四国艦隊砲撃事件が起きた1年前になるわけですが、江戸の品川に建設中のイギリスの洋館を襲撃しています。しかも井上馨は火付け役の実行犯。なお隊長は高杉晋作でした。

これが四国艦隊砲撃事件にも繋がっているといえば納得できますが、でもそんな事件を起こしていたらその後の時代に井上馨が外交を率先して行うというのはちょっと違和感が。

不平等条約改正のために奔走したといえばなんとなく筋は通りそうではありますが、もっと適任者はゴロゴロいそうな気がします。

 

さらに三井財閥との深い繋がりがあったとされ、今風に言えばフィクサーの役割を果たしていたといいます。

ですが、内閣総理大臣はやったことがありません。藩閥政治の時代であれば誰かが推薦しそうなものですが、むしろいつも反対に遭って内閣総理大臣はやらせてもらえなかったといいます。

 

たぶんですが、時代によって意見がコロコロ変わってしまうその一貫性のなさが内閣総理大臣になれなかった理由な気がします。一時期には開国論者にも明治政府にもスパイ扱いやら黒幕扱いやらされています。ある意味時代時代での柔軟性を発揮した結果という捉え方もできるとは思いますが、信頼の面ではあまり良くなかったのではないでしょうか。いわゆる、人徳での面。

英国公使館焼き討ち事件の際には火付け役にもかかわらず、その道具を遊女の家に忘れた上に見つかって隠滅されてしまうという大ポカをやらかしています。また毎年遺言を書くのが趣味で、テレビ東京系列の「開運!なんでも鑑定団」という番組でそのうちの1つが晒されたこともありました。

 

井上馨は、とりあえず条約改正への第一歩を踏み出した立派な人物、と捉えておくと良いと思います。あんまり深く知ろうと思えばするほど・・・、ゲフンゲフン。