現役塾講師の教育さまざまブログ

現役塾講師が日々思っていることを様々綴ります。

数学が苦手な場合はどうしたら?

このネタ、書いたつもりになっていたんですよね。どうやらまだ書いていなかったようで。いや書いてるのかな? でも過去記事を検索してもそれっぽいのが見当たらなかったのでたぶんまだ書いていない。もし書いていたらすみません。記憶喪失です。

 

数学がヘタな人ほど難しい問題にチャレンジしたがるんですよね。入試前になるとなぜか新しい問題集を買ってきて「やるぞー」なんつって。それ一番やっちゃ駄目なやつです。入試前というのはもっとも不安がつきまとう時期です。使い慣れた問題集や参考書をもう一度やって、不安を解消すべき時期です。わざわざ新しい問題集や参考書を入試直前にとか、不安を増大させて一体どうするんですか。やっぱり普段から学習していないと、いざというときに限ってそういうわけのわからない行動に出がちです。

入試前でなくてもなぜか難しい問題ばっかりやりたがる。そして案の定解けずに質問に来たり答えを見て納得したりするわけですが、根本が解けるようになっているわけではないですから、解けるつもりになっているだけで結局後になって模試やテストで痛い目を見ることになります。

 

で、本当に苦手な人っていうのは大抵計算で詰んでしまっているんですよね数学は。

まずは基本である計算練習をしっかりやるべきなんです。

例えば。これは以前も書いたと思います。これは記憶喪失になっていません。ちゃんと前にも書いた内容です。間違いない。

 

√8×√18 という計算があったとします。

教科書通りなら、

√8×√18=2√2×3√2=6×2=12

ってやるんだと思います。

でも工夫ができる人は

√8×√18=(√2×√2×√2×√2)×(√3×√3)=4×3=12

とやると思いますし、もっと計算が得意ならば

√8×√18=√144=12

とやると思います。どの解き方も正解です。どういう解き方をするかは完全に個人の好みの問題です。

でも数学が苦手な人というのは練習していないので、自分がどの解き方が向いているのかそもそもわかっていません。計算するにおいても工夫をどう盛り込んだら良いのかわかっていません。手数も引き出しの数もありません。練習していないからです。

数学って利用や応用の問題を解けるようになることももちろん大切なのですが、苦手な人はその前の段階でつまずいているのがほとんどの原因です。

ですから、遠回りなようですけれどもまずしっかり基本の計算問題をたくさんこなして、計算力をつけるべきです。その計算練習というのもただやるだけでは意味がありません。どういう工夫が可能なのかいろいろ試行錯誤してみて、そして自分はどの解き方がもっとも向いているのかを確認する作業をしっかり行っていくべきです。

計算がしっかり精度を上げてスピードもつけてできるようになればテストでは利用・応用の問題にかけられる時間も増えます。一石三鳥か一石四鳥くらいの効果が期待できます。

 

計算練習というのはさすがに入試直前になったらそんなことやっていられません。入試直前には入試過去問をしっかりこなさなければならないですから。つまり今年度入試を控えている人は、そろそろ本気を出して計算練習をし始めなければならない時期は、今ということになります。

計算練習したくてもどういう問題が良いのかわからないという人は、塾講師に聞いてみたら良いのではないでしょうか。たぶんその人に合ったものを紹介してくれると思います。塾通いしている人はいろいろ塾を頼ってみてください。

ホワイトボードをきれいにするために

私はホワイトボードの見やすさにはいつもかなり気を遣っています。特に授業前の掃除は念入りです。水拭きを絶対にして乾燥させて、乱反射を防ぐことは絶対にぬかりません。こうしておくことで書きやすさも保てます。

ですが、すぐ直後に授業が迫っているときは水拭きしてそのまま水が残ってしまうことがあります。こういうときはティッシュペーパーを使ってきれいにしていたんですが、ティッシュペーパーだと水に濡れて裂けてしまうことがけっこうあります。ペーパータオルを使っても良いんですが、あれも水を含むと破れることがありますし、それに固いのでホワイトボードそのものを傷つけてしまう危険性がある。

かといって雑巾を持ち歩くのもなんか変ですし、どうしたものかといろいろと関連グッズをネット通販などで見漁っていたんですね。

 

そうしたらひらめきました。

キッチンペーパーです。

キッチンペーパーはそもそも水や油を含むこと前提に作られていますから少しくらいで破れたりはしません。そしてそれなりに柔らかい上に、ロールのやつを買えば経済的。

さらに気づいてしまいました。マグネット式のペーパーホルダーをホワイトボードの受け皿にくっつければ使い勝手も完璧です。

善は急げということでさっそく購入。そして設置。

もうバッチリすぎてこれまでの苦労は一体何だったのかと。ひょっとしてキッチンペーパーはホワイトボードを清掃するために生まれたのではないか(んなわきゃない)と錯覚するほどの使い勝手の良さ。

 

これはひょっとすると塾業界で流行るんじゃないでしょうかね。まぁ清掃に気を遣っている一部の講師のみにだとは思いますけれども。

なぜ教科書やテキストには「新」という文字がつくのか

あんまり高校生の教材だとそういうことはないですけれども、ほとんどの教科書やテキストは「あたらしい〇〇」「新〇〇」「新編〇〇」「〇〇新演習」みたいに、なぜかみんな「新」なんとかっていう呼び名がつけられています。

これは教科書会社やテキスト発行元も明確に理由を述べている会社はないので本当の意味はわからないんですけれども、いろいろと推測できることはあります。あ、ですので私も本当のところはわかっていません。

 

まず教科書は大改訂が10~12年ごとにやってきます。それをきちんと踏襲した内容に改訂していますよ、というポーズのために「新」とつけているのだと思います。理科や社会ですとマイナーチェンジが2~3年おき。特に社会はここ数年、塾用テキストは毎年ごとに内容が変わっているような状況です。だから発行元が「新」ってつけたくなるんじゃないでしょうか。

あと、学習ってなんとなく古くさいイメージがあると思います。それを緩和するために「新」という文字をつけておくんじゃないでしょうか。たぶん「新しい気持ちで学習に取り組んでほしい」みたいな願いが込められているのだと察します。

そしてこれは歴史が関係するところなのですが、一番の理由はおそらくこれです。戦後の日本は復興から立ち直って国定教科書から民間教科書に移行しました。学習内容も刷新され教育制度も大幅に変更されました。そんな中教科書やテキストでも「これを学ぶ子どもたちには新しい日本を創り上げていってほしい」という過去の人々から現代人へのメッセージです。

 

まぁぶっちゃけ「新」なんとかなんてただの表示ですからなくても教科書やテキストは機能するっちゃしますけれども、それを作っていった人々の気持ちの側面が大きいわけです。

これは学校の先生に読んでほしい 理想的なクラス作り

今日は学校の話題です。

6月です。だんだん行事などをこなしてクラスもまとまりが出てきたくらいかなと思います。そのまま軌道に乗れることもあれば、なかなかまとまりが生まれず悩んでしまうこともあると思います。

 

そういうときに学校の先生が安直に考えがちなのが、リーダーシップのある生徒をどう動かすか、です。

ですが、リーダーシップのある生徒というのは放っておいてもリーダーシップがあるわけです。そこに先生がヘタに手を出してしまうと、そこまであった均衡がさらに崩れてしまうことがあります。そうなると事態を余計に悪化させてしまうことになりかねません。

またリーダーシップがあるというのはけっこう諸刃の剣だったりします。その生徒についていく生徒もいれば、ついてこない生徒たちもいるはずです。それが極端になってくればクラスは真っ二つ。埋められない溝が生まれてしまうことになります。

もう少し言うと、リーダーシップのある生徒の行動をクラスの目標にしてしまうと、その他大勢みたいな生徒は差がありすぎて結局ついてきません。視点・視野の差がありすぎてしまうわけです。手の届かないような存在を中心にしてしまう、それがいけないわけです。

 

考えてほしいのが、誰をクラスの中心にするとみんなが納得するのかという点です。

その際、なんでも平均的に頑張る生徒、敵を作らない生徒を中心に据えてほしいということです。

成績も中くらい、発言力も中くらい、見た目も中くらい。そういう生徒をクラスの裏リーダーに仕立て上げていきます。

そういう生徒を見極めたら、積極的にみんなの前で褒めていきましょう。頑張りを認めて褒めるというのが一番効きます。

そうすると、リーダーシップのある生徒たちもそういう生徒に近づこうとしていきますし、その他大勢みたいな生徒たちも頑張ればああいうふうになれる、と目標を自主的に見つけてくれます。

こういう目標値の最適化がクラスが団結するコツだったりします。

 

ちなみに私は塾でも、集団型グループ授業の場合は少しこれをやっています。

塾なのでもちろん成績の素晴らしい生徒、頑張りの素晴らしい生徒も褒めますが、平均的な生徒の頑張りほど褒めます。すると成績の良い生徒はもっと頑張らなければと思ってくれますし、成績の振るわない生徒やなかなか頑張る気のない生徒にも目標が生まれます。

 

クラス作りに困っている先生は1つの手段だと思ってぜひ参考にしていただけたらと思います。

塾ってパワハラはあるの?

あるところにはあるんでしょうし、ないところはないです。そのへんは塾も一般の企業と一緒だと思います。

いや、塾なので子どもへの影響や配慮を第一に考えていますから、一般企業よりひょっとするとコンプライアンスは厳しく設定されているかと思います。私は塾以外の企業に入社したことがないのでそのへんは計りかねます。でもたぶんそうなっています。

私の塾では上期と下期にきちんとコンプライアンス研修が導入されています。バイト講師や事務・パートの方も全員一斉に受講しないといけない必須研修になっています。本社から職員が来て話をするのと、あと過去の実例の共有と、動画資料の視聴もです。けっこう徹底してやっています。だって問題が起きたら会社の信頼に関わって、それがそのまま保護者や生徒からの評価に繋がりますからね。死活問題です。

ですので私の周りではパワハラは一切ないですね。たまーによその塾では聞くことありますけども。

 

昔はけっこうありましたね。20年以上前ですけれども。

新人の初期研修で、まだ私が中堅層に片足突っ込んでいたくらいだったとき、上司と3人で模擬授業をするというのをやりました。個別型授業を想定して、新人講師が私と上司を生徒に見立てて1対2の模擬授業をやるという内容だったんですが、

いきなり上司が「じゃあ次は私くんが見本を見せるから!」と唐突な無茶ぶりを私に。

たぶん新人を前に上司も調子に乗っていたんだろうと思います。私に恥をかかせようという魂胆です。何の準備もありませんでしたが、昔から肝が据わっていましたからそのまんまの流れで完璧に模擬授業をこなし、新人を圧倒。上司も圧倒。ということはありました。

 

あと、どういう流れだったかは忘れましたが誤配送だったか誤配布だったかが原因で、生徒に届くべき教材が教室にない、それが原因で大クレームという出来事が発生しました。それを何の関係もない私に上司が罪をなすりつけたという事件はありました。

それはさらに上の上司に速攻でバレて、すぐに塾での立場を失ってしまっていましたけれどもね。

 

でも経験した中でひどいなと思ったのはその2つくらいですかね。ほかにもやられているかもしれませんが記憶にないです。最近では本当に全くないです。もちろん私もやっていません。みんな上下関係良好です。特別仲良しというわけでもなく、でも言うべきときにはしっかり言う、ビジネスとしての良好な関係です。

昔から私の塾ではパワハラっぽいことが発生したらすぐ知れ渡ってそういうのが上層部に知れ渡る構造になっています。情報共有の手段が多いのが功を奏しているんだと感じます。

ほかの塾だとどうなんでしょうね。あんまりオープンにそういう話題を聞くことはできないですから、ちょっと聞いてみたいかも。

世界八大文明とは

世界四大文明は習ったと思います。メソポタミア文明、エジプト文明、中国文明(黄河文明)、インダス文明ですね。

ですがこれが提唱されたのはかなーり昔です。誰が言い出したのかはわかっていませんが、たぶん100年以上ずーっとこの呼び方で便宜的に世界の文明を分類し地域ごとにそういう名称で呼んでいます。

でも研究が進み、もう今や世界を四大文明で語ることはできなくなってきているんです。たぶん、世界を四大文明で教わっているのは東アジアくらいのもので、他国はほかの枠組みで文明を分類しています。

 

その1つが「世界八大文明」です。これを提唱したのはサミュエル・ハンチントンというアメリカの国際政治学者・政治研究家です。2008年頃に亡くなってしまった方ですが、この方が著書『文明の衝突』で八大文明を明示しています。

その八大文明とは何なのか。それは以下の通りです。

 

 ・西欧文明  ・中華文明  ・イスラム文明  ・ヒンドゥー文明
 ・ロシア正教会文明(スラブ文明) ・ラテンアメリカ文明
 ・アフリカ文明  ・日本文明

 

驚いたと思います。

なんと、日本が独自の文明を持つとして八大文明の1つとして分類されているのです。これが現在、世界の文明解釈の主流になりつつあります。

 

これまでは、日本は中国の文化の影響を受けたとされその支流のように扱われてきました。もちろん漢字や律令制、仏教などは中国の影響は決して無視できません。しかし近年では、日本は独自の文明を持つ高度な民族であるとして分類されるようになりました。

サミュエル・ハンチントン氏は、日本は古代から独自の文明を持ち高度な建造物、高度な調理技術、高度な農耕技術、高度なものづくり技術などを編み出し成熟させてきた、独自の民族性が発達してきたことを指摘しています。

縄文土器や弥生土器がその最たる例ですね。ほかの国では打製石器を発展させた磨製石器を使うようになりましたが、日本人はそれを使いつつ土器という新たな道具を開発したわけです。土器が開発されたため煮炊きができるようになり、米文化が根付きました。その後租庸調の税の時代になると米が通貨扱いされ、それは豊臣秀吉の時代に石高制という形で確立します。石高制が終わるのは1873年の地租改正が発令されるまでですから、米が通貨だった時代はおよそ1000年にのぼります。

これは確かに独自性が高い。

また、独自性の中でも特に有名なのは日本語という言語ですね。世界のどこの言語もルーツになっていない、独自の言語なのが日本語です。中国とか西洋とかの漢語・外来語は後の時代になってから入ってきたもので、大元の文法や音韻体系は完全に独自です。

 

そういうところから文明を8つに系統分けしていったわけですが、ほかの文明がいくつかの国の集合体で分類されているにもかかわらず、日本だけは1国で1つの文明が割り当てられている。これ、すごくないですか?

 

最近では縄文時代から高度な航海技術で他文明との遠距離接触があったことも指摘されています。有名なのはシュメール文明との類似性ですね。

日本の歴史教育は自虐史観がかなり強いですが、こういうのをしっかり歴史教育に盛り込むのも大切なのではないかと思います。

まぁ、このまま研究が進むのを待つしかないですね。

「ダッフィー」成功からみる日本のソフトパワーの実力

日本といえば漫画アニメ、ゲームなど創作物の楽園です。キャラクターグッズなども世界中で飛ぶように売れています。

ちょっと前、中国で「ラブブ」というぬいぐるみが大バズリしました。

あれはどうやって売れたのかというと、日本でいうガチャガチャですね。1つのキャラの色違いやバージョン違いをいくつも用意して、1つ買ったらまたもう1つ欲しくなる、というような戦略がうまくハマった例です。一時期はメディアもゴリ押しして販売を手伝っていましたが、あれから1年。もはやラブブなんていう言葉すら忘れている人も多い状況になっていると思います。

まだ世界ではちょいちょい売れているようですが、特に日本ではもう閑古鳥。そりゃそうです、ただかわいいだけのキャラならば日本ではサンリオをはじめ、ゆるキャラが無数に台頭していますから、それらに勝てるはずもなく。また何のストーリー性もないキャラなんて記憶にも残りませんから埋もれて終わりです。

 

日本のソフトパワーが世界を震撼させた例があります。まぁそんな例いくつもあるんですが、今回は「ダッフィー」の例を挙げてみます。

まぁこの話はディズニーのマニアやオタクの人たちには私ごときでは絶対にかなわない分野なのですが、あくまで私の語れる範囲で。

ダッフィーとは東京ディズニーシーのキャラクターで、クマのぬいぐるみです。

東京ディズニーリゾートのキャラクターグッズ関連の売り上げで主力に常に入り続けているすごいキャラなのですが、あれはどうやって売れたのでしょうか。

 

もともとダッフィーはアメリカのディズニーマートの一部店舗で生まれたキャラでした。

小さな店舗で、その店舗オリジナルのキャラクターとして売られていたそうです。2002年頃の話だといいます。その頃はまだダッフィーという名前ではなく「ディズニーベア」という名前でした。

ですが、映画にも出ていないキャラですしアメリカの人々には見向きもされませんでした。アメリカのディズニー社も売り込むことはせず、そのまま誰からも愛されず忘れ去られるところでした。

しかしそこに目をつけたのが東京ディズニーリゾート。

ぬいぐるみの造形はそれなりだったので、しっかり売り込めば化けるキャラになると、様々な戦略をひっさげて日本での販売を決意します。2005年頃の出来事です。

 

まず、ストーリー。

「ミッキーマウスが航海するためミニーと離ればなれになる。そのためミニーはミッキーのためにクマのぬいぐるみを作った。今ではダッフィーはミッキーの相棒である。」

日本で売るようになってからです、名前がディズニーベアからダッフィーに変わりました。後付けでも違和感のない設定を施し、キャラクターのバックボーンを作り上げました。そうです、ミッキーの相棒というのは日本オリジナルの設定です。アメリカではそういう設定はありません。

そして造形。

映画に出ていないキャラなのでとにかくぬいぐるみとしての精度をもっと高めなければならない。そのため材質にこだわり抜き、抱き心地を最優先に表面の生地や中ワタの量を幾度も調整してあの質感になっていったそうです。

さらに売り場。

無名のキャラなので特別感を出すために、ディズニーシーの一部の店舗でしか扱わないことで逆に注目を集めようという戦略をとりました。はじめの頃は期間も限定し特別感を演出していたそうです。

さらにさらに。

着せ替えができたり、限定の関連グッズを展開したり、それらが軌道に乗ってきたら友だちキャラ展開させたり。

はじめはお土産として売れていたそうですが、そうやっていくうちにだんだんとマニア層を取り込むことも成功し、そうしていく中でダッフィーというキャラが確立し、今やそれ目当てでディズニーシーを訪れる客も珍しくなくなっているようです。

 

なお日本でのダッフィー成功を経て、アメリカのディズニーでも逆輸入という形で販売が始まりました。ですがやはりアメリカだと日本ほどキャラクターの定着を周到に準備していなかったせいか、思ったほど売り上げは伸びず、数年で販売終了に至ってしまいました。

 

日本はキャラクター産業がもはや文化レベルとして根付いています。お金をかけて本気で戦略を練って売れば、モノが良ければ伸びます。また売り込むにあたってもそういう引き出しをいくつも持っていますから、売れるキャラを意図的に作り上げることも可能です。

今や世界中の人々が知っている日本のキャラクター、いくつあるんでしょうかね。マリオやドラゴンボール、ワンピース、ハローキティ、キャプテン翼、数限りないソフトを世界中に広めています。

今後もキャラクター産業は日本の独壇場だと思われます。我々日本人にとっては見慣れたキャラですが、世界中の人々が羨んでいるものです。

理不尽なクレーム その6

第6弾です。前回の第5弾は以下。

jyukukoushiburogu.hateblo.jp今回のお話は、集団型グループ授業をとっている中学1年生の男子とその保護者が主役です。

 

ちょうど今の時期です。何年か前の話になるのですが。

6月というのは中1にとって、だんだん慣れが出てくるのと中間テストがひとまず終わるのとで、少々だらける時期なんですね。部活動などでも遠征とか練習試合とかがたくさん入る時期ですし、体力的にもなかなか厳しくなる時期です。塾にとっては学習を軌道に乗せるのに四苦八苦する時期です。

学習を軌道にというのは、宿題をしっかりやらせきるとか、自習の時間を確保させるとか、もちろん授業も休まず毎回きちんと出て学習内容をもれなく理解させるとか、そういう基本的な動作の定着のことです。これができあがらないと、より高みを目指した学習なんていうのも夢で終わってしまいます。

 

グループ授業をとっている1人の中1男子が、この時期にピタッと宿題をやってこなくなってしまいました。何度か確認し次はしっかりやってくるように、と言っても改善せず。事態は悪化していくのでした。

とりあえず保護者に情報を共有して家で学習時間をどのようにとっているのかお電話。

すると、家ではしっかり学習時間をとって自習をバリバリやっていることになっていました。保護者の方は塾の宿題もしっかりこなしているという認識。完全に事実との食い違いが発生している状況。

まぁおそらくおうちの人にウソをついて、趣味だのスマホだのに時間を割いていて学習が手につかない状況だったのでしょう。よくありがちなパターンです。

 

その際、保護者側から1つの提案が。

次の授業から連絡帳を持たせるので、先生に宿題をそれに記入してほしい、保護者側で管理して塾の宿題をしっかりやらせきるので、という内容。おうちの方も気になる点は連絡帳に記入して随時情報を共有してくれるといいます。

こちらとしては願ってもない状況。毎時間宿題を記入するのは多少手間はかかりますが、おうちの方が学習管理を手伝ってくれるならばそうしてもらった方がありがたいです。私もそれを了承しまして、次回の授業でその中1男子に連絡帳を持参してもらう流れになりました。

 

そしてそこから2日後。また授業の日です。

 

私「連絡帳持ってきた?」

 

中1男子「・・・え?」

 

バッグの中をガサゴソ。・・・ガサゴソ。そしてガサゴソ。

 

中1男子「・・・ないです。」

 

ええええええええーーー

授業中でしたが慌てて保護者にまた電話。

 

私「あのう、中1男子くんに連絡帳を持たせていただけるというお話でしたが、本日お持ちでないようでして」

 

母「何で持たせてくれないんですか! 連絡帳を書いてくれるって言ったのは先生の方でしょう!」

 

いやいや、持たせるって言ったのはお母さまなんですけれども。というかその提案自体もお母さまなんですが。だいいち、どうやって次の授業で中1男子くんが塾に来る日までに私が中1男子くんに持参の確認をできるというんですか。もうめちゃくちゃ。

 

私「もう本日は仕方ありませんので、ご登録のお母さまのメールアドレスに今日の授業内容と今日の宿題をメールいたします。お母さまにはお手数ですがそちらをご確認いただきまして、内容を把握していただけたらと思います。」

 

母「じゃあそうしてちょうだい!」

 

そして授業が終わり、約束通り授業で何をやったか、宿題で何を出したか、メールで詳細を報告。

めでたしめでたし、と思いきや。

 

さらに翌週、また中1男子くんが宿題をやって来ず。もちろん連絡帳の持参もなし。これはどういうことだ? ということでまたまたお母さまに確認のお電話。

 

私「あのう、お母さま宛にメールのほうを先週送付したかと思うのですが、中1男子くんがまたもや宿題をやってきていないものですから、どうしたものかと。」

 

母「あ、確認忘れてましたぁ~」

 

はい、もう親子揃ってダメ。

こっちの労力なんて1つも気にしていない。というか学習というものが親子ともに普段から頭に存在していないんだと思います。塾にただ預けて満足しているだけ。

 

その後も学習はいい加減、そしてそれは塾だけではなく学校の方でも同じだったらしく、成績は壊滅的。公立高校は目指せず、私立高校でお金を積めば入れるところに進学しましたとさ。

英語にも古典ってあるの?

あります。「古英語」と呼びます。小中高では絶対にやらないやつですね。大学でも専門的に勉強しない限りは普通は扱わないものになります。だいたい5世紀~11世紀頃の英語を指すのが古英語という言葉です。

アングロサクソン、という言葉を聞いたことがあると思いますが、「アングロサクソン語」というと今の英語のルーツになった言語です。古英語=アングロサクソン語、としてしまう場合もあれば、古英語の中でも今のルーツに結びつくものがアングロサクソン語としている場合もあります。古英語もいくつか種類があるんですってね。

 

古英語は今の英語とは全然違います。多少にている単語やそのままのものもありますけれどもね。

例えば古今異義語ですが、「nice」という単語があります。今だと「良い」「優れている」という意味ですが、これが古英語だと「馬鹿げた」「無知な」という真逆の意味になります。

逆に「silly」という単語だと、今だと「愚かな」という意味ですが、古英語だと「幸せな」「無知な」というような意味になります。

 

文法もだいぶ違います。名詞には強変化名詞と弱変化名詞があり、男性と女性、あるいはその中性で言い方が変わってきます。今だと主格・所有格・目的格・所有代名詞となりますが、古英語だと主格・対格・属格・与格・具格と活用そのものの形式が違います。

動詞も大きく強変化動詞と弱変化動詞があり、単数・一人称・二人称・三人称・複数形、と今よりとんでもなく活用の形が存在しています。しかも命令形の動詞が専用に用意されており、これらすべてを把握するのは至難の業です。

 

1つ例文を示してみます。

(古英語) Thou art the man.

これ、そもそも発音からしてわからないものもあると思いますが、日本語で書くならば「ザウ、アァト ザ マン」というような発音となります。

「thou」とは二人称単数主格の名詞で今だと「you」にあたる言葉です。そして「art」はbe動詞で「thou」に対応するもの、今だと「are」にあたります。

今の英語で示すとこうなります。

(現代英語) You are the man.

訳としては、「汝は男である。」です。

実はこの古英語の例文、イングランドの劇作家、シェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」の1文です。

シェイクスピアの作品などを原文のまま読みたいなー、研究したいなー、なんて思っている学生の方は古英語を学ばないといけないことになりますので、参考にいかがでしょうか。学ぶのはかなり大変ですよ。

「どんぶらこ」の品詞は?

日本には川から桃が流れてくるとき専用の言葉が存在しています。

そう、「どんぶらこ」です。繰り返し使うときには派生した「どんぶらこっこ」という形態も存在しています。

まず川から桃が流れてくるシチュエーションなんて日常には存在していませんから、基本的には昔話である「桃太郎」の中でしか使われない言葉となっています。が、知名度だけは超抜群です。

由来としては、水に飛び込む音や水に何かが落ちる音である「どぶん」、それが文中で使われることを想定すると「どぶり」になるそうで、それがさらに化けて「どんぶらこ」という単語が出来上がったそうです。

 

さてこの「どんぶらこ」ですが、品詞は一体何なのでしょうか。

答えは「副詞」です。

語源からもわかるとおり、擬声語です。あるいは桃が流れている様子を表しているとすれば擬態語と捉えることもできますが、どちらにせよいわゆるオノマトペです。オノマトペは例外なく副詞に分類されますので、副詞と判断することができます。

 

でもちょっと待ってほしい。

実はこの「どんぶらこ」、桃太郎の話以外にもちょいちょい使われている言葉でもあります。歌に出てきたり、詩に出てきたりすることもあります。

その場合には、かけ声としての使われ方が多いです。

ということは、「感動詞」として分類することも可能となります。

 

要は、文脈で判断する必要がある単語であるということになります。

文中で出てきて様子を表していれば副詞、独立語としてかけ声としての表現なら感動詞です。

判断は文脈しだいとなります。難しいですね。

 

ですがまぁ、入試で出ることはないと思います。より文法を深く知りたい方がいろいろ考えを巡らすために知っておくという分には良いのでは。