現役塾講師の教育さまざまブログ

現役塾講師が日々思っていることを様々綴ります。

歴史学者、意味のわからないものが発掘されると「宗教的意味合いが」を言いがち問題

歴史学者や考古学者が遺跡などを発掘し、何かが出土したとします。

すると当然きちんとした意味のあるものも出土しますが、中にはわけのわからないものが出土することもあるわけです。例えば日本だと青銅器である銅鐸など。

するとやっぱり歴史学者や考古学者は、その立場上どうしても意味のわからないものの意味を考えてしまうんでしょうね。価値のないものだと思いたくないんでしょう。

その結果、意味のわからない抽象的なもの、説明のつかないもの=宗教だ! と勝手に結びつけて考えがちです。

というか、意味のわからないものは何でも宗教的意味合いが、と言っておけば良いと思っていそうなフシすらありそうです。これ、あながち間違いでも言い過ぎでもないと思うんです。

 

これ、良くないと思うんですよね。

今の人だってただ幾何学模様を描いてなんか意味ありげに実は何も意味のないデザインを作ったりするわけじゃないですか。いわゆるそれが芸術というやつですけれども。

昔の人たちだってそういう考え方はあったに違いないわけで、意味ありげにとりあえず「なんかかっこいいから」とか「なんかほかの人が見たらいろいろ考えを巡らしてくれそうだから」とかで模様とかデザインを施すことだってあったはずなんですよね。

それに意味を求めて「宗教的意味合いが」って、そんなのただの過剰解釈です。何も正しくありません。まぁもしかすると本当に宗教的意味合いがあるものもないとは限りませんけれども。

 

銅鐸なんかも宗教的意味合いが、って言われていますけれども、あれどう見ても何も使えないですよ。あんなので何をどう祈るんでしょうか。音を鳴らすためのものだったというのは間違いないんだそうですけれども。でも「農耕祭器だ」は言い過ぎでしょう。置き物で、当時の青銅器ですから「持ってるとすげー」みたいなアイテムで、たまにカンカン音を出してストレス発散とかしてたんじゃないでしょうか。自転車のベルを何の意味もなくてもチリンチリン鳴らすみたいなそんな感覚で。

農耕の様子とか狩猟の様子とかが描かれていますが、当時の風景を描いたデザインっていうだけなんじゃないでしょうか。そういうデザインを施すのが当時の流行だったんじゃないですかね。

 

もっとシンプルに考えた方が良いと思うんです。学者は何にでも意味を求めすぎです。

宗教的な意味合いが、ということは高度な文明が? でも当時の技術はそんなに進んでいなかったはず、何か外的な要因が? まさか宇宙人! とか、そういうトンデモ理論が飛び出してしまう原因、作っていますよ。

 

学者の立場だと「これは意味のないものです」「これは当時のただの雑貨です」って言えないんですかね? いや言って良いでしょ全然。過剰解釈を垂れ流すよりは、勇気を持ってそれを言ってもらいたいです。