大日本帝国憲法というと、天皇主権、法律の範囲内での人権、といった制限ありまくりの憲法で、歴史学者の中でも失敗の憲法とされています。
ですが成り立ちをよく紐解いてみると、草案改正を重ねていく中で複雑に思想が重なり合いあのような形になってしまったことがわかるのです。ちょっとマニアックな話になります。
大日本帝国憲法は様々な人が草案を作っており、初代内閣総理大臣として知られる伊藤博文も3~4個ほどの草案を作成しています。そうやっていろいろな要素が盛り込まれていってあの大日本帝国憲法に形作られていったのですが、伊藤博文がはじめに作った草案を見ると面白いことがわかります。
我々の知る大日本帝国憲法の中身よりもさらにきちんと四民平等が盛り込まれ、国会によって政治が進められることが明確にされていたのです。もちろん天皇主権である中ですが。
それが様々な話し合いや別の人の草案も盛り込んだのでしょう、3つめの草案の中でいきなり国民は「臣民」にされ、天皇に仕える立場として人権を弱体化されてしまったのです。
もしはじめの草案で大日本帝国憲法がそのまま作られていたら、日本は違う歴史をたどっていた可能性すらあります。
我々の知る物事も、実は様々な経緯があって今の形に落ち着いていることが多いはずです。
こういった部分を研究することで、今後世の中をどうしていくべきか考えることにつながるのだと思います。やっぱり歴史って大切ですね。