現役塾講師の教育さまざまブログ

現役塾講師が日々思っていることを様々綴ります。

最近入試でよく扱われる「シャクシャインの戦い」

シャクシャインとは、江戸時代初期にいたアイヌ民族の指導者です。

最近よく入試で「シャクシャインの戦い」に関連する問題が出題されています。

 

ロシアでは南下政策がとられていました。南に南にと支配を広げていくことで自国の勢力を広げていこうという考えです。

この動きを江戸幕府も察知していましたので、蝦夷地、いまの北海道に住むアイヌがロシアの標的になるのではないかという懸念がありました。江戸幕府松前藩蝦夷地に派遣して定住させ、アイヌとの交易を行うように仕向けます。

ここで江戸幕府が欲を出してしまったのがいけませんでした。どうせならば交易を日本に有利になるように進めようと、松前藩アイヌにとって主に漁業で不公平な条件を突きつけ交易を始めてしまったのでした。

このため蜂起したアイヌ人、それがシャクシャイン率いる2000人ほどの軍です。1669年の出来事です。松前藩と交易しているアイヌ人+松前藩vsアイヌ人、という構図です。

しかし松前藩は銃で武装していたため当然アイヌ人はかなうわけがありません。約4か月に及ぶ戦いは和解という形で講話を結びましたが、なんとシャクシャインはその和解から間もなく暴徒化した何者かによって殺害されてしまうのでした。

これによりアイヌは尊厳を踏みにじられたうえ、アイヌ文化崩壊のきっかけとなっていったのでした。

 

というのが一般的なシャクシャインの戦いのざっくりした説明ですが、細かく見ていくともっといろいろな話があります。

 

日本史Bを高校でとった方ならばやったかもしれませんが、1457年には「コシャマインの戦い」が起きています。

これは何かというと、1400年代にすでに日本人、和人というべきかもしれませんが、その商人がアイヌに渡って交易をやっているんですね。でも金銭トラブルが発生しそこでも和人商人たちとアイヌとの間で武装蜂起が起きています。

さらに江戸時代に入っても、アイヌに不公平なルールが生まれるよりも前に松前藩は海沿いに「商場(あきないば)」という特定地域での商売を行うようになっており、それによりアイヌ側はあまり自由に商売をさせてもらえなかったという不満が高まっています。

またシャクシャインの戦いが和解とシャクシャインの死亡でいったんカタがついたものの、なぜか松前藩シャクシャインの砦を焼き討ちして全壊させるという暴挙に出ています。

 

そりゃーアイヌ人、日本に恨みがあって当然とも言うべきです。

でも無理矢理にでも日本に編入しなかったらひょっとするとロシアの南下政策の餌食にされてもっとひどい目に遭っていた可能性も否定はできません。

どう転んでもアイヌは悲惨な運命を辿っていた、と考えると実にやるせない。