現役塾講師の教育さまざまブログ

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謎の政治家、井上馨

幕末から明治~大正時代にかけて活躍した政治家、井上馨。

明治時代の中盤に鹿鳴館というダンスホールを建設し外交で目立った成果をあげたことで知られていますが、行き過ぎた欧化政策が原因で政界から干されるというかわいそうな一面もあります。日朝修好条規を結んだ人としてもおなじみです。

 

その井上馨ですが、謎が複数存在しています。

まず、なぜ謎に政治力が強いのか?

長州藩出身で元は尊皇攘夷論者でしたが、イギリスに密航したのち開国論者になります。たぶんその間には四国艦隊砲撃事件という長州藩とイギリス艦隊とのミニ戦争が起きましたから、それが開国に向かった理由というのはわかります。

でも、密航したくらいで重役を任されいつの間にか長州藩の中枢的な人物になっていくわけです。一体裏で何があったのか。だって密航者なのに。

 

そして、イギリスの影響を受けている割には「英国公使館焼き討ち事件」というテロ事件を起こしています。1863年、四国艦隊砲撃事件が起きた1年前になるわけですが、江戸の品川に建設中のイギリスの洋館を襲撃しています。しかも井上馨は火付け役の実行犯。なお隊長は高杉晋作でした。

これが四国艦隊砲撃事件にも繋がっているといえば納得できますが、でもそんな事件を起こしていたらその後の時代に井上馨が外交を率先して行うというのはちょっと違和感が。

不平等条約改正のために奔走したといえばなんとなく筋は通りそうではありますが、もっと適任者はゴロゴロいそうな気がします。

 

さらに三井財閥との深い繋がりがあったとされ、今風に言えばフィクサーの役割を果たしていたといいます。

ですが、内閣総理大臣はやったことがありません。藩閥政治の時代であれば誰かが推薦しそうなものですが、むしろいつも反対に遭って内閣総理大臣はやらせてもらえなかったといいます。

 

たぶんですが、時代によって意見がコロコロ変わってしまうその一貫性のなさが内閣総理大臣になれなかった理由な気がします。一時期には開国論者にも明治政府にもスパイ扱いやら黒幕扱いやらされています。ある意味時代時代での柔軟性を発揮した結果という捉え方もできるとは思いますが、信頼の面ではあまり良くなかったのではないでしょうか。いわゆる、人徳での面。

英国公使館焼き討ち事件の際には火付け役にもかかわらず、その道具を遊女の家に忘れた上に見つかって隠滅されてしまうという大ポカをやらかしています。また毎年遺言を書くのが趣味で、テレビ東京系列の「開運!なんでも鑑定団」という番組でそのうちの1つが晒されたこともありました。

 

井上馨は、とりあえず条約改正への第一歩を踏み出した立派な人物、と捉えておくと良いと思います。あんまり深く知ろうと思えばするほど・・・、ゲフンゲフン。