私も最近は正直あんまり読書しません。しますけどね。最近読んだのは郷土史ですかね。塾講師ですけれど研究家でもあるものですから。でも忙しいのでよほど時間がない限りは本をじっくり選んで、じっくり読んで、ということはできません。
読書が廃れていっているのにはいくつか理由があります。
インターネットの発達、現代人の時間のなさ、ゲームやテレビなどの娯楽の多さ、一般的にはそう言われています。
でももう1つ重要な理由があります。
それは出版社の都合です。
実は私も昔本を出したことがあります。特定を避けたいのでタイトルなどは出しませんけれども。共同執筆でした。
あれって、文庫本やハード本にするためにはある程度の分量がないといけないんですよ。数ページだけで出版することっていうのができないんですね。製本などのコストの都合です。
そのため、本当に伝えたいことはたった数ページ分なんですが、その他のどうでもいいことでページ数を稼いで埋めないといけない作業があるんです。
これが書き手にとっても苦痛ですし、もちろん読み手にとっても重要な点がボケてしまう。たった数ページの要点のはずが、出版の都合で何倍にも無理矢理膨らませているわけですからね。
本を出したときは、なんでこんなに無駄なことばっかり書かないといけないんだよって思いました。書き手が無駄だと思ってるんですから読み手にとってはもっと無駄なはずです。
本の種類にもよるのでしょうが、編集による推敲で「この部分は図を挿入するので、段落が一続きだとそっち(図)に目をやる余地がないんで、段落を2つくらい設けてください、そうすればちゃんと図を見てもらえますから」「なんだったら本文で図について触れちゃってください」なんて要求がくるときがあります。
はじめのうちはなるほどなぁと思いながら作業をするのですが、やっているとどう考えても段落を設けるタイミングなんてなくて、じゃあ仕方ないからこっちの話とこっちの話を入れ替えて図の話に持ってくるか、あれ、でもそうすると明らかに文字数オーバーだぞ、なんて試行錯誤することになります。結果、本来書きたい内容すら表現を変えて削ってしまうことも。
これがいけないんです。読者にとって本当に手に入れたい情報が、どうでも良い情報で埋め尽くされてしまう。たった数行の読みたい情報のために、読まなくて良い・読みたくない情報をずっと見させられてしまうわけです。要点がどこに書かれているのかなんて実際に読まないとわからないわけですから。
しかも本って買うか借りるかしないといけないわけです。読み手にとってはわざわざ手間をかけてその仕打ちなわけです。
だったらインターネットで無料で何か見たら良いや、となってしまうようなことが起きるのは当然なのではないでしょうか。
本を物流させるために、執筆して、推敲して、印刷して、製本して、流通させて、というのを一連の安定した流れにしてしまったのが読書離れを生んでいる1つの大きな要因になってしまっています。
もっと誰でもどんな分量でも本にできるような環境を作れば、読書をする人は増えるような気がしますけれどもね。でもそういうのってコスト度外視でないとできません。結局、その他の媒体が強すぎて読書はどんどん現代人から遠ざかってしまっています。
その点ブログは良いなぁ、書きたいことだけ書いて自分で好き勝手に公開できますから。
でも本も大切だと思います。後生に残しておけるものですので。今ではデータ化もしますから半永久的に残ります。これ以上廃れないでほしいという思いもありますが、今後どうなっていくのでしょうか。