現役塾講師の教育さまざまブログ

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1918年、シベリア出兵→米騒動→原敬内閣誕生

この流れ、説明できますかね?

1918年、第一次世界大戦の連合国が、ロシア革命を牽制するねらいでシベリア出兵を行いました。日本にとっては南下政策(ロシアが南に勢力を伸ばす構想)への対策も兼ねており、積極的に出兵することになります。

このとき日本では米の価格の上昇が続いていました。第一次世界大戦がきっかけで米の収穫量は落ちているのに物価は上がるという、民衆にとっては最悪の事態を招いていました。これに目をつけた地主をはじめとする権力者が米の買い占め・売り惜しみを行うようになり、さらに価格のつり上げを謀ります。これに加えてシベリア出兵も起きてしまったため遠征のため政府も米を買う事態となり、政府は一挙に批判を受ける事態に発展します。これが米騒動です。

シベリア出兵の頃の米価は約半年で2.5倍に膨れ上がっていたそうで、それは民衆が困って当たり前ですよね。

寺内正毅内閣は、米の買い占め・売り惜しみを規制する法律を出したり、救済費を捻出したりしましたが、そのどれもあまり効果はありませんでした。

まず富山で騒動が起き、これが全国の都市に波及していくことになります。都市部では打ち壊しが起こり、米価の下落を強要する事件が多発します。実際に価格を下げて売らされる事態に発展しており、寺内内閣はこれらの責任をとり辞任に追い込まれます。

いくつも法整備をしたのにのれんに腕押し状態だったというのはちょっとかわいそう。戦争の経済への影響力は計り知れなかったということです。

 

これにより日本初の本格的な政党内閣、原敬内閣が誕生します。平民宰相として知られる内閣総理大臣です。大正デモクラシーの波にも乗って「平民宰相」は当時の流行語にもなります。

だいぶかいつまんで整理しましたが、これが一連の流れです。近現代以降の日本史でよく扱われますので、だいたいの流れは把握しておきましょう。

 

なお原敬1921年に刺殺されてしまいます。暗殺の理由は現在でも明らかになっていませんが、一種のテロだったのではないかとされています。現場となった東京駅では今でもその場所にプレートが設置されています。

政治家っていつの時代も大変ですね。